FC2ブログ

金夜文芸部

あの頃の話をしよう。


「文芸とはこの上なく自由であるべきなのだ! 目を覚ませよ!」
 部長がいつもどおり騒ぎ始め、僕と叶原もごくいつものように顔を見合わせた。
 お互いに何も聞かなかったことにして、手元の本に視線を落とす。
 僕が読んでいるのは『ペドロ・パラモ』というラテン・アメリカの文学で、夢と現実がごっちゃになっているような不思議な内容だった。
 叶原が読んでいるのは東野圭吾だろう。表紙がそんな感じなのだ。彼女は王道のミステリをこよなく愛している……はずだ。
「諸君! 目を覚ませよ! 貴重な青春をあたら読書に費やして虚しくはないのかね!」
「部長、ここ文芸部よ」
 叶原が目で文字を追いながらぼそりと呟いた。眼鏡の奥の目がやや細くなっている気がしないでもない。呆れを通り越して怒っているのかもしれない。動かざること大和撫子を自認する叶原にしては珍しい。
「知っっっってるよ! ご存知つかまつってんよ! 文芸部だからこそ、我々は執筆すべきじゃないのかと吾輩は問うている! 諸君、答えよ!」
 部長がついに机の上に片足を乗せてわめきはじめた。
「そんなこと言ったって、今季の文フリは辞退するって決めたじゃないですか。書いてどうするんです?」
 面倒くさいながらも僕が合いの手を入れる。叶原ばかりに部長の相手をさせるのも可哀想だと思ったのだ。
 そもそもこの部長、騒ぎたいだけ騒いだら急におとなしくなるという性質がある。
 一過性の衝動が人一倍強い性向だ。だからこそ僕も叶原も相手にしないのではあるが。
「愚かなり……愚かなりよT氏!」
「いきなりイニシャルで呼ばないでください。僕は高本です」
「高本氏! 目を覚ませよ! 命ある文芸には必ず光が与えられるものなのだ! そのための舞台なんぞどこにでもある! そうたとえば……11月に控えている文化祭なんてどうかね!?」
 ああ~~~~……それかあと僕は思う。たぶん叶原もそう思っているんだろう、宙に視線をさまよわせてぽかんとした顔をしている。
 急にわめきはじめたのには理由があったってわけだ。
 文化祭だからこそ、何か出し物を作らなきゃいけないって、たぶん10月も終盤に差し掛かった今日になって思い出したんだろうな。
「部長、文芸カフェがいいと思います」
「叶原氏! あらためペンネームクリスチーヌ叶原先生! それはあまりにも気合が足らんのでは!?」
「だれがクリスチーヌ叶原ですか。ジャイ子じゃあるまいし。文化祭の出し物に小説なんて、誰も読まないってんです」
 それでなくても、この学校に本を読む人がいますか? ふんっ、と叶原はいじけたように鼻を鳴らしてそっぽを向いた。どうもすねたらしい。たしかに僕らが通っているこの高校――私立金夜高等学校には読書する人間がほとんどいない。教室を見渡してもそうだし、図書室なんて連日閑古鳥が鳴いている。図書準備室あたりには蜘蛛の巣にまみれた腐った死体が転がっているという話だ――それくらい本と関わりがない人が多いってことだけど。
 叶原はビブリオマニアの気があるし、読書人口が少ないことが寂しいのだろう。そして寂しさを通り越して、今やそれは現世への怒り・怨恨となっているのだろう。大和撫子の恨みつらみ……恐ろしそうである。
「高本君。失礼なこと考えてないで、あなたも何か言ってよ」
 人の頭の中を読んでいるようなボケというのはラノベにはありがちなので、ツッコミのパターンは決まっているんだけれど、それを叶原は見越して発言しているはずだから、ここはあえての定番パターンでツッコむことにしよう。と僕は0.5秒で答えを出した。
「人の頭の中を読まないでくれよな!」
「……え?」
 叶原はきょとんとした顔で僕をみつめている。眼鏡の向こうの目も驚きでやや見開かれているくらいだ。わかってなかったんかーい、オイオイオイーー! と思いつつ、内心すべったことにショックを受けていた僕だったが、数秒後に叶原がニヤリと笑って本に向き直ったのを見て、実はツッコミを理解していたのだと理解した。大和撫子? ただの嫌なやつだよ叶原は。
「ただの嫌なやつだよ叶原は」
「漏れちゃってる。心の声漏れちゃってるから」
 僕と叶原はうへへへと笑った。僕は一矢報いたという達成感があったし、叶原はお前もやるなという顔をしていた。こういう身内ノリの(ややおサムイ)小説ジョークが通じる場所は本当にここだけなのだ。それが嬉しくて幸福なのだ……。
 余韻に浸りながら僕は読書に戻る。
「お願いだからみんな! 話を聞いて! 諸君に部長から重要なお願いなの!」
 部長が涙と鼻水をまきちらしながら叫んで、僕たちはやっとまともに文化祭の出し物を決めようという空気になる。
 そして出し物は文芸カフェに決まる。

「文芸カフェ? 何?」
 二木先生は白衣に新しいコーヒーの染みを増設しながら言った。
 理性的で話の分かる大人として我々生徒一同の信頼も厚いのだけれど、そそっかしい人なのだ。
「文芸部室でやりたいんです。ちょっとしたコーヒーなんか出して、後はテーブルの上に文庫本でも転がしておけば形になるかなって」
 こうして僕が二木先生に話をしているのは、部長と叶原に社交スキルがまったくないからだ。部長はまあまあのイケメンで実はスポーツ万能なんだけれどあのように変人だし、叶原は内弁慶を通り越して内閻魔大王のような人間だから、一番まともっぽい僕のような人間が打ち合わせに駆り出されたわけだ。
「なるほどねぇ……叶原さんがあれだろ、メイド服着て」
「それ先生から言ってあげてください」
「はっはっは、やだよ。彼女怖いもん。でもただの喫茶店てのも味気ないだろ? 聞いてる限りじゃ、病院の待合室みたいな雰囲気じゃないの」
 上手いこと言うなあと僕は思う。
 確かに本が転がしてあるだけの茶飲み所としては待合室が適当だ。
「じゃあ、文芸待合室にします」
「趣旨が全くわからないよそれ。何を待ってんのよ」
「お迎えを待ってます」
「何? 学校の七不思議を増やすつもり?」
 二木先生は何故か嬉しそうに笑った。意外と冗談が好きなのかもしれない。
「とにかく、出し物としてはもうひとひねり欲しいな。そしたら先生が責任を持ってOKを出します。あっ、ナマモノとセクシーとバイオレンス以外だからな。もう一度行ってらっしゃい」
「……意外と細かいんですね。僕、なんとなくですけど、こういうお祭りの話とか、とりあえず意見が出ればそれでOKなのかと思ってました」
 危険なものでなければなんでもいいんだと思っていた。
 教師も生徒も、とりあえず参加することに意義があるみたいな、そんな学校行事にありがちな、どこまでも意味のないなあなあのルールだと思っていた。
「いや、ホントはそうだよ。君たちの言う文芸喫茶で全然良いんだ」
 二木先生はあったかそうなコーヒーをずずっと飲んだ。
 それから目尻の皺を深くして言う。
「でも、それじゃあ青春ぽくないじゃん」

『ああ、Nはそういう人だ。あったかいジイサマだよ』
『あったかいと、ジイサマって、相容れない言葉ですね』
『そこがいいだろう。逆説的なぬくもりが感じられて。つまり愛』
『部長、愛してたんですね、二木先生のこと』
『嗚呼……愛しのじじい』
『正直、部長のこと気持ちわるいなってこと思うことあります。今それ』
『メッセージだからって言って良いことと悪いことあるからな』
『そっくりそのままお返しします』
『こりゃ一本取られたなあ』
『で、どうするんですか? 学園祭の出し物』
『Tは明日、文芸部室来るんだろう?』
『行きます』
『その時ではダメかね』
『いいですけど、叶原がきっと文句言うだろうなって思って、事前にネゴっとこうと思いまして』
『Tって時々、汚い大人みたいな真似するよな……』
『だってね部長、二木先生に話に行くの僕なんですからね。責任感じてきたんですよ』
『大いに結構。策は用意してあるさ』
『さすがです、部長』
『知りたいかね?』
『是非』
『執筆カフェだ』
『なんですか?』
『決まっているだろうT氏よ! お運び頂いたお客様に気持ちよく執筆していただける静謐な、かつ創造性に満ちたエキサイティングなカフェさ!』
『すみません、眠くなってきたので、明日また話しましょう』
『ちょっ、待って』

 僕は密かにその公園のことを、魚介類公園と呼んでいる。
 滑り台の側面には小魚がたくさん泳いでいるし、地面に大きなバネが突き刺さっているような乗り物はフグやアンコウの形になっている。ジャングルジムは真っ赤なタコだ。
 何が目的でこんなに海の中なのかよくわからないけれど、少なくとも叶原はタコの上に座り込んでいる人魚のように見えた――。
 というのはまあ、冗談だけれど。
「ごめん、呼び出したりして」
 僕はコンビニのビニール袋を手にぶら下げながら、ジャングルジムを見上げて言う。
「待ってないよ」
「いや、それは聞いてないよ」
「ちょっと寒かった」
「待たせてごめんねっ!」
 運動神経がめちゃくちゃ悪いのが丸わかりの不細工な格好でのそのそと叶原が下りてくる。
 まんまる眼鏡はいつもどおりだけれど、マスクをしていて、髪は後ろで一本に結っていた。カーディガンのような物を着ていて、その上にドテラを羽織っていた。履いているズボンはグレーのスウェットだ。部屋着というかなんというか、隙しかない格好だ。こんな締切に追われる女性漫画家みたいな格好をしている人間が本当にいるなんて信じられない。
「で、文化祭の話だっけ?」
「うん。二木先生に言ったら文芸喫茶はボツだって。青春ぽくないからって」
「あらあら……面白いこと言うんだ、二木先生って」
「顧問の先生なのに、結構わからないことあるよね」
「クラスメイトのことだってわからないことだらけよ……わたしにとってはね……」
 叶原はどこか寂しげに視線を外し、吹いてもいない風に髪をなびかせている。
「死ぬの?」
「えっ? はい!?」
 叶原がすっとんきょうな声を出すので少し笑ってしまう。
「いやなんか、寂しそうな雰囲気出したから、死ぬのかなって」
「あー……はいはい、そういうギャグか……ちくしょう、ツッコミそこねたわ。高本君ってまともそうに見えるけれど、本当は一番サイコパスなパターンよね」
「よく言われるよ。犯人はお前だって」
「そのギャグ割と好きかも」
 僕と叶原はぐふふと笑った。
 いつもの調子が出てきて僕としては安心していた。
 叶原と二人きりになることはあんまりない。
 もしかしたら変な空気になってしまうかもしれないと、少し心配だったのだ。
「青春がテーマってことでいいのかな」
 叶原が話を戻す。
「二木先生対策としてはそれでいいだろうね。部長はごねるかもしれない」
「いいのよあの人のことは。無視無視」
「部長のこと、嫌いじゃないよね?」
 僕は何故かそんなことを聞いている。
 僕は部長が好きだからだ。アホだけれど、そこがいい。
「好きだよ」
「え?」
「好きって言った」
「え!?」

関連記事

コメント

非公開コメント