高校生の頃の話だ。(――ということにしておこう)
当時僕は、音楽にハマっていた。
ジャンル的にはポップパンクだ。
グリーン・デイとか
ブリンク182とか。
いかにも高校生が好きそうな明るくてテンション高めで何よりも
バカな音楽に心酔していた。
あまりにもパンクに憧れていたので、夏休みに髪を緑色に染めてザ・ハイロウズのTシャツを着て家でストラトキャスターをかき鳴らしていた。
そんなバカ丸出しの僕だったので、友達も大層馬鹿だった。
ある日僕は、僕の大事なCDを友達に貸した。
僕はお小遣いの大半を音楽に費やしていたので、友達の誰よりもたくさんのCDを持っていた。いわゆるコレクションというやつだ。
貸したのは高校に入ってから出来た友達で、一番仲が良かった。
「MDに録音したら返すよ」
と友達は言った。
僕は貸し、一週間後にCDは帰ってきた。
パッケージには一筋のヒビが入り、CDの裏側には細かい傷が入っていた。
「どうやったら一週間でこれほどまでに汚くなるんだ」 僕は本気でそんなことを考えた。
何か避けられない事故のようなことが起きたのではないかと想像したくらい汚くなっていた。
しかし友達は、返却する際には何も言わなかった。
「ありがとう」くらいだ。
つまり彼は、CDのパッケージは割れても構わんし、CDの裏に傷がついても謝る必要がないと思っているということだ。
――これは彼にとっては普通なのだ! その考えにたどり着いたときの衝撃と言ったら、重力を発見したときのニュートン並だった。
僕は彼に文句を言ったりしなかった。
なぜなら、僕はその頃パンクスだったからだ。
パンクスが細かいことでぐだぐだ言ってたらダサいもんな。
このエピソードから僕は、
価値観の違いというのは避けられないものだ、ということを学んだ。
そして覚悟を決めた。
「誰かに物を貸す時は、原型をとどめていないくらいぐちゃぐちゃになっていても、気にしないことにしよう」 これが僕の『借りたものは返さない主義』の発端である。
すごく簡単な理論なので、ぜひ覚えて帰ってください。
●借りるときの論理
人が何か「貸してあげるよ」と言う。
↓
借りた物はどれだけ大事にしようと時によって傷ついてしまう場合がある。
(例えば、地震で机から落ちた上、母親が踏みつけてしまう等)
↓
傷ついた借り物を相手に返すと、相手の心が傷つく場合がある。
(大事な物だったら特に相手は傷つく)
↓
なので
「借してくれるのは本当にありがたいけれど、僕は返さないよ」という。
(返さなくていいレベルのものだったら安心して借りることができるし、基本的には返さない)
(返して欲しいレベルのものなら、そもそも借りない) ↓
貸したものが返ってこないことが分かっているので、貸してくれた相手も「返してくれるかな」と心配せずに済む。
貸したものが返ってこないので、貸した物が傷ついていて悲しい思いをしなくても済む。
借りた側としても借り物を傷つけるのを恐れなくて済むし、返す手間も必要ないので気が軽い。
ほら、良いことしかないじゃん……? 世の中には「貸すのが好き」という人もいるので、そういう人達には特に注意が必要だ。
彼・彼女達にはこの理論が理解できないことがある。
「え? 貸したら返して欲しいんだけど……じゃあいらないって? ほんとは興味なかったってこと? せっかく持ってきたのに……」
などというすごく面倒くさいことになることがある。
こういう人から借りると、ほんとに微々たる変化でも文句をつけてくることがあるのでほとんど地雷だと僕は想う。
根本的には自ら仕掛けてくるタイプのクレイマーと変わりない。
「貸す」という行為によってマウントしたいという気持ちが少し見える。
この主義主張はCDとか文庫本だけに適用されるものではなく、賃貸住宅や金銭にも関係している。
むしろ価値が大きくなればなるほどトラブルは増えるものだ。
だからこそ思想が必要なのだ。
どうしても借りなければならない時は、相手の善意だけを信じず(人の心は変わるので)、借りる対象をよく確かめ、
「ここに傷がありますね」とか、「付属品が一個ないですね」とか、「返却日は◯◯日でいいですか?」など、きちんと打ち合わせしよう。
それが借りる相手に対する最低限の礼儀だし、借りる側の義務である。
なあなあにしてしまうのが一番良くない。
引っ越しの話とか、
荷物運びの話とか、
電車で席を譲る話とか、最近は口うるさく書いているけれど、僕が言いたいことは全部の話で共通していて、
ちょっとだけ先のことを考えて、問題が出そうなところを潰しておこうよ。 という、ただそれだけのことなんである。
そして世の中の人間は、ただそれだけのことにも案外気が付かないものだということを僕は本当に何度も何度も思い知らされてきた。
もちろん僕が気を使いすぎている説もある。
小学生の頃の卒業アルバムに、僕の大好きだった先生が書いてくれた寄せ書きの言葉は、
「伏田って、本当に人に気を使って生きているよね」だった。
これはトラウマである。
段取りというものの本質は、自分以外の人のことをどれだけ考えられるかだと思っている。
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コメント
No title
荷物運びの時も思ったんですけど、伏田さんはとても気が長いんじゃないでしょうか。そりゃムカつきはするでしょうけど、それを飲み込めるところが。
だから周りからは人に気を使ってるように見えるんじゃないかなと、伏田さんの何を知ってるんだ!って言われそうなことを言ってみます。笑
ちなみに私はめっちゃ人に気を使うタイプです。
相手の為というよりは、自分が文句を言われない為に。
2018/10/25 00:36 by hanaco URL 編集
Re: No title
僕はかなり利己的な考え方をするので、悪いことをされた相手を嫌いになるのも何だか嫌なんです。(嫌いになるエネルギーが無駄だと思ってしまうので)
人間性を思考の軸にして考えると「嫌な奴」以外の考え方が上手くできなくなってしまいそうで恐ろしいんですね。
なので別な言葉に置き換えて考える癖がついているんだと思います。
どうやって考えたら自分が一番楽かなあ、って大体考えてます。
ほんとに嫌な部分が大きい人の場合は最初から近づかないことが多いですね。
僕の本質的な「良さ」に気がついてくれて、本当にありがとうございます……!!!!
どちらかと言うと気が長い方だと思います。上の文で少し書きましたが、やっぱり怒るエネルギーって無駄だなあと思っているので、あんまり怒らないようにしてるんです。
あと、生まれた頃から歳の離れた姉と戦争を繰り返してきましたので「争いは何も生まない……」ということをずっと学ばされて来た気がしますw
hanacoさんの気遣いレベルの高さ、僕は少し分かっているつもりです。
行動のひとつひとつに、きちんとした考えや信念がありそうな気がしています。
"自分が文句を言われない為"って、すごく重要な考え方ですよね。文句を言われない為にはどうすればいいかって考えるはずですし、そのためには他者の気持ちも考えると思うし、そうなってくるとリスクの概念も生まれてきて、行動の選択肢も増えますよね。行動の意味のレベルが全然違ってくると思うんです。
ひとりひとりがもっとhanacoさんのように"自分が文句を言われない為"を考えられるようになったら、社会は今まで以上によくなるはずなんだけどなあって思っています。
コメントありがとうございます!
後、メール読ませて頂きました。
今度はちょっとスパンを開けて送ります。(僕はもう勝手にhanacoさんを信頼しているので、そういうペースが今は良いのかなあと思ったわけです)
だので、ちょっとだけ忘れていて下さいね。
2018/10/25 02:14 by 伏田竜一 URL 編集
No title
メールですが、今回に関してはお返事がなくても平気ぐらいの気持ちで送りましたので、いつでも大丈夫です!
本文が大分長くなってしまいましたので、いくつかの話題は終了ということで省いちゃって下さいね。
ではでは。
2018/10/25 03:47 by hanaco URL 編集
今朝はお返事いつでも大丈夫って書きましたけど、こっちもいつ返信できるかわからないのでいつでもどころかなくても大丈夫です!
何か、言いたいことがある場合はぜひ送って下さい。
そいでは。
2018/10/25 18:32 by hanaco URL 編集
No title
丁寧に、ありがとうございます。
何か言いたいことがあれば、ということなんですね。
承知しました。
言いたいことが溜まったらメールさせて頂きます。
hanacoさんも、そうしてくださいね!
コメントありがとうございました!
2018/10/25 22:31 by 伏田竜一 URL 編集