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In the past.

 かつて僕は僕であり、現在僕は僕である。

 ”最近”の僕は人生を振り返ることが多くなった。
 歳をとったということなのかもしれない――などと考えるが、主な原因は歳ではなくて、思考の癖だった。
 たぶん僕は二十代の半ばくらいからずっと同じことを言い続けている。
「ああ……過去を振り返ることが多くなったなあ」
 そのたびに明るい未来を見つめなきゃ意味ないぜ! と思い直して顔を上げる。視線を上げる。
 意識を上げる。
 してみると、目の前には茫漠たる闇である。
 星屑ほどの灯りもない。
 となると眼前の未来にすら希望がないように感じられ、更に深淵にダイヴすることになる。
 そういうことを繰り返している。
 繰り返している、ということに自覚的である。
 もともとが自分の殻に閉じこもりがちな性格なのだ。
 もちろんそんな性格を誇っているわけではないし、変えられるものなら変えたいと思い、色々やってみたこともある。ご多分に漏れず自己啓発の本も読んだ。未知の集団に飛び込んだりもしてみた。
 でも僕は変わらなかった。←←←これが過去である。

 Q、以上の話から導き出される本日のテーマは何であるか?






A、過去の話を語るのは、未来を語るより簡単である






 そうなのだ。思い出話や、過去に起こった出来事を書くのって割と簡単なのだ。
 たとえば最近読んださくらももこさんのエッセイ。
 もものかんづめとか、さるのこしかけとか、あの本にあった作品の半分以上は『過去』について書かれた文章だった。
 どうして今まで気づかなかったんだろう?
 他のエッセイや、ブログを読んでいてもそうなのだ。
 情報を紹介するお役立ちサイトや、思考をまとめたエッセイや、創作物を掲載しているもの以外について考えるなら、9割くらいが過去の話を書いている。
 日記という形もかなり多い。日記は「すでに起きた出来事」を書くものであり、明らかに過去を記述した文章である。
 つまり、過去を振り返って生きるのは、人間としてごく当たり前のことだったのだ。
 そればかりか、基本的に人間は過去を生きている、といえるかもしれない。

『過去について書くこと』について考えているとき、ひとつの面白い理論が生まれたので、ぜひ皆様に問いかけてみたいと思う。

「過去について書く時、書かれる対象が現在よりも遠ければ遠いほど人に受け入れられやすいのでは?」
 そんな気がしないか?
 つまり、昨日とか、おとといとかの話よりも、10年前の話の方が『重要な感じ』がするのではないかということだ。
 僕は、話の手触りとしてもそう感じるし、話し手の感情的な部分からもそう感じる。
 それが何故なのか、詳しいことは分からない。
 でも「そのように感じる」という観察は重要なはずだ。
 たとえば、さくらももこさんのエッセイに出てくる話も、学生時代の思い出によるものが多かった気がする。
 戦争について語るおじいちゃんの言うことには(遠い昔の話なのに)どこか説得力がある。
 何故だ?
 僕なりに理由を考えてみた。

・人は忘れる生き物だから

 僕たちは日々、たくさんのことを忘れて生きている。
 その中で、余計な記憶と、忘れられない記憶を、自然に区別している。
 おとといの朝に何を食べたかは忘れるが、10年前に出会った美少女とのひと夏の思い出は忘れない。
 その体験・体感は多分、普遍的なものであり、脳の特性なのだと思う。
 そして人間は「自分の思考や感情の経験を元にして現在を理解する」ように出来ている。
 自分を基準にして自分以外の全て=世界を認知しているという意味だ。
 遠い昔の出来事など普通は覚えていないが、それでも覚えているのは、その記憶が重要なことだからではないか、という考えが意識的にせよ無意識的にせよ自己認識のアナロジーとして働いているのではないか。
 だからこそ遠い昔の出来事には価値があるように感じるのではないか。

・僕たちが親しんできた創作物の中で『思い出』というキーワードは常に重要だったから


 世の中に「大切な思い出」は数あれど、「全然どうでもいい思い出」は少ない。
 どうでもいい思い出は、いらぬ記憶として淘汰されやすいはずだし、本当にどうでもいい話なら誰も聞きたがらない。聞いた方がすぐに忘れるということもある。
 結果として「大切な思い出」が世に広まることになる。
 そういった創作物を摂取して生きてきた僕たちにとって、過去を語るということは、それだけで重要な話題であるという意識を喚起するように刷り込まれているのではないだろうか。
 であるがゆえに10年前の話は受け入れやすいのではないか。



 人間は過去を生きている。
 現在でも、未来でもない。
 僕たちが感じることのできる時間の流れは、厳密に言うと過去だけだ。
「未来」を見ることは、当たり前だけれど、できない。
 そして「現在」というものも、基本的には観察できない。
 現在を見ているのは現在から少しだけ遅れたところにいる自分で、その自分=自我は脳に送られた情報を処理して解釈するために、リアルタイムの現在より常に時間的に後方にいる。
 脳に送られてくる情報は、常に過去であり、本当の現在は誰も感じることができない。
 だからそもそも、人間は過去の中にしか生きられないのだ。

 パンクスが「NO FUTURE!」と叫んだ時、それはとても正しい。
 僕たちに未来はない。
 ただ粛然とPASTを感じ、生きるのだ。





参考文献
思考の整理学 (ちくま文庫)  外山 滋比古

思考の整理学




※僕の文章には空想の部分もあるので(裏をとってないので)何かの参考にはしないほうがよいです。
 思考遊戯でございました。
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