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熱の夜

 眠れん。
 ベッドの上に敷いた布団の柔らかなかさかさを感じつつ僕は、暗闇の中で時々目を開けては虚空を眺め、七転八倒し、ていうか輾転反側し、やたら元気に感じる体と目ン玉を持て余しながら人生などについて思いを巡らせていた。
 布団に入って人生について思いを巡らし始めるというのは一種の末期症状で、そうなったら最後、もう眠れんのは確実だった。そもそも寝るというのは己が感覚を無に近づける、あるいはがちがちに緊張している糸が何かの弾みでぴしりと切れるようなもので、というのが僕の眠りのイメージであって、形が無い割に剛健な概念である人生という巨大なものについて考えている間は眠れるはずもなく、つまり全くの徒労をしていたのだが、徒労だからといって、分かっているからといって途中で止められるわけでもなく、やめよう考えないようにしよう早く寝ようと思えば思うほどそれらは光り輝いて際立ち主張を派手にする性質があって、いわば人生という神の手にがっちりTシャツの裾をつかまれていたのだった。
 そうなったらもう覚悟を決めてきっぱり目覚めてしまった方が体にも心にも良いように思われた。
 ということで僕はYoutubeなどを見ることにした。

返信するだけのつまらない長い動画【008】 けもみみVRちゃんねる

 噂に聞いていた、のじゃロリおじさんの動画を見てみた。
 この人の動画もきっと笑えるコンテンツなんだろうなあと思っていた。
 全然違う。
 むしろ物凄く真面目で筋の通った考え方を発表する場だった。
 特に、お金の話はとても為になったし、こういう考え方を「発表する人」がいるっていうのは凄いことだなと思った。
 あとどんどん企業から仕事が来るようになってシンデレラロードを驀進してる感じが恐ろしかった。
 あんまりまとまっていない考えだけれど、この人はシステムに興味があるんだろうなあと解釈した。創作者にも色々な種類があると思っていて、それは小説にももちろん通じている。物語を創るのが好きな人もいればキャラクターを作るのが好きな人もいるし、語りそのものがひたすら好きな人もいる。それって結局プログラマーなのかデザイナーなのか運用者なのかってことなんじゃないかと思っている。どれが優れているかではなくて、思考のフレームがどういうものかっていう話し。




【縦動画】Hey Luna!【スマホ推奨】  Kaguya Luna Official

 とても面白かった。発想が良かった。あと物凄くキャラが出ていた。
 こういうVtuberもいるんだなあと思って色々輝夜月さんの動画を見ていたらだんだん頭がおかしくなってきて、何が正しいのかわからなくなってきた。
 身内の話で大変申し訳無いのだけれど、ルナさんのノリは会社の後輩のMにそっくりで、Mは僕の100倍インターネットに詳しいし、流行にも敏感なので、たぶんこれが今の若者なんだろうなと本気で思った。子供の頃からニコニコ動画が身近にあった世代で、かつ都心に近いところに住んでいる若者。これが悪いとか、文句があるとかじゃなくて、そういうのを学ぶのは単純に面白いと僕は思うのだ。時代劇を見るのと同じような感覚がある。僕は本州最北端の町で生まれたし、子供の頃にはもちろんネットなんか無かったし、まるっきり異文化だと思う。異文化なんだけれど変わらない部分ももちろんあって、そういう普遍的な人間の感情や考えをみつけるのも楽しい。
 けどまあ、学ぼうとしている時点で、僕は現代を生きてないような気もしている。(人生の話に近いやつ)



 町田康さんの『ギケイキ』の1巻読了。
 面白かった。声に出して笑ったところが何箇所かあった。
 ギケイキの原典は『義経記』で、源義経が主人公の有名な古典。例の武蔵坊弁慶も出てくる。勧進帳の部分が読みたかったんだけれど、それは2巻に出てくると思われた。
 しかしながら町田康ワールド全開の出来で、はっきり言ってぶっ壊れていた。そのぶち壊し加減が面白いのは間違いないので、むしろ町田さんのファンはそれを望んでいるんだと思うけど。
 原典の方も話しとしては多分かなりおかしいんだと思う。おかしいというか、それが普通だったということなんだけど。
「魔法」が実在していた時代、という風に描かれている。義経の「八艘飛び」も神様に祈って祈って祈りまくって手に入れたパワーらしい。そういう謎の力っていうのが昔はあって、実際的な力を持っていて政治を動かしたり何万人も殺してしまったりするというのがまず面白い。
 普通に考えればそんな力は無い。
 でも普通っていう概念も、当たり前のように変わる。
 義経が現在の日本の本を読んだら多分「嘘つけ」と思うだろう。
 人々は自分だけのノートパソコンやスマホを当たり前のように持っていて、車を運転して戦闘機に乗り核爆弾を開発しAIを玩具にして宇宙に飛び立つ。そんなの現実だと思えるはずがない。こんなに現実離れした現実が存在するなら、魔法があった現実があってもおかしくないんじゃないだろうか?
 本当にあったのかどうかはあまり問題じゃなくて、そういう時代があったのかもしれないと考えてみることや、実際に謎の力があるとしたらどういう考え方になるのかっていうことを考えるのが楽しい。
 フィクションは現実には起こらないことを作れる。
 しかし、それはイコール現実には起こりえないということにはならない。
 そもそも人間は、思考や想像をしなければ何も作れないのだから、思考や想像が出来ることなら、逆になんでも作れるのかもしれない。



 今夜もなんだか無性に暑い。
 そろそろまぶたが眠いので、ベッドに戻ることにしよう。
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