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パープル

 知らない町を散歩するのが大大田大の趣味だった。
 名所など無くて構わない。ただ見たことのない景色の中を歩くだけでよかった。
 とある休日。
 大は自宅から6駅離れた町で電車を降りた。

 駅を出ると、町はわずかに賑わいを見せていた。
 都心のような足の踏み場もない喧騒ではないが、町の住人が日々の憂さを晴らすには充分に機能するであろう賑わいだ。
 くたびれたパチンコホール。焼き芋の値札が目立つ青果店。フランス語めいた響きの名を持つ小綺麗なパン屋。旧作90円ののぼりを立てたレンタルビデオ屋。ママチャリに空気を入れるおっさんとにこやかに話している自転車屋のおっさん。軒先に無数の赤ちょうちんを並べた居酒屋。駅から出た人間が吸い込まれていくコンビニ。
 どこにでもある町の、どこにでもある駅前の賑わい。
 大はゆっくりと町並みを見て歩く。時折足を止めて店先を冷やかし、また歩き始める。
 彼の趣味はあくまで散歩であって、買い物ではない。
 駅前の短いメインストリートを端までじっくり歩いたあと、元の道を引き返す。
 もちろん同じ景色が広がっているのだが、とある店が目についた。
 時代に取り残されたような蕎麦屋だった。
 汚れたガラス戸は開け放たれていて、元は白かったであろう黄色い床と、横に長いカウンターが見える。カウンターの奥の割烹着を着たおやじは通りに背を向けて煙草を吸っているようだった。客はひとりもいない。
 この蕎麦屋も――この町の全てがそうであるように――どこかで見たことがあるような店だったが、道を来た時には見かけなかった気がする。
 大は目に入った光景をみな記憶をしているわけではない。気にかかりながらも、見落としただけだろうと思い通り過ぎようとした時、えも言われぬ芳醇な出汁の香りが蕎麦屋から漂ってきた。
 小腹が空いたなと思った。
 普段はストイックに散歩のみを行い、歩くことに満足したら帰宅することにしていた大だが、どこか懐かしい甘い香りの前に思考が緩んだ。食べていこう。
 店に入ると、香りはより強くなった。頭がぼうとするようなよい香りだ。店の右端にあった券売機の前に立つ。蕎麦屋やラーメン屋でよく見かける、ボタンに品物と価格が書き込んであるタイプの券売機だった。オーソドックスな蕎麦屋のメニューは一通り揃っているようだったが、ほとんどの品物にはマジックで横線が引かれており、売り切れのランプまで点いている。きつねやたぬき、月見に山菜に天ぷら、かけまで全て廃止らしい。
 注文できるメニューはただひとつ、パープルと書かれたものだけだった。800円だった。大は混乱した。
 この店は明らかに立ち食いそば屋であり、過去にはまっとうな蕎麦屋としてメニューを揃え営業していたのだろう。それは券売機に並ぶ品名からうかがえる。しかし何かが起きて、普通のメニューは全て廃止されたのだ。その上でパープルという、もはや食べ物かどうかすら怪しいメニューだけが残ったものとみえる。そこだけ切り取って考えてみても異常だが、パープルが800円と割高なのもよく分からない。打ち消し線の隙間に見えているきつねが400円なのである。
 もしかするとパープルというのは「全部乗せ」のこの店独自の呼び方なのかもしれない。具に注力する店では「爆弾◯◯」とか、店の名前を冠した派手な品名だったり、食べ物と関係がない名前になったりするものなのだ。えてしてそのようなものは割高になる傾向にある。全部乗せであれば価格は全く問題ではない。むしろ安いくらいだ。
 問題は、パープルが全部乗せではなく、全く予想もつかないものだった時どうするかである。と、そこまで悩んだ大は、財布から千円札を出して券売機に入れた。見たことが無いものが出てくるのなら、それはそれで面白いじゃないかと思った。きっといい思い出になる。
 パープルのボタンを押すと、お釣りの200円と一緒に真っ白な札が一枚出てくる。札には何も書かれていない。
 大は札を取ってカウンターに置く。ずっと背中を向けて煙草を吸っていた親父が振り返る。落ち窪んだ眼窩の上に薄い眉毛がかろうじて残っている骸骨のような人相の親父だった。
「硬さは」
 親父が地鳴りのような声で聞いた。
 大は再び混乱した。
「パープルってのは固いんですか?」
 大が聞くと、親父が顔をしかめて背中を引きつらせた。
 どこからか水道管が詰まったような、ごばっごばっ、という音が聞こえてきた。
 数秒経ってから親父が笑っているのだと気がついた。
「固いわけがねえだろ」
 親父は痰が絡んだような声で言ったあと、大を睨んだ。
 怯んだ大は弱気に「じゃあ普通で」と注文して黙る。
 とりあえず接客は良くないということが分かったので、それからは黙っていることにした。
 親父は冷凍庫から何かをつかみだすと、ゆで麺機に入れっぱなしのテボザルの中に放り込んだ。
 しばらく経ったあと、ザルの中身を湯切りして丼にうつした。
 作業卓の上の小瓶を取り上げ丼の上で数回振り、大の前に乱暴に置いた。
 大はしばらく目の前のものを眺めていた。
 丼の中には白い湯気の立った紫色の変なものが一個入っていた。それはザリガニのような形をしていたが、爪があるべきところにはコンセントの出っ張りのような突起が二本ついていた。触角はなく、体もつるりとして蒸した芋みたいな表面だった。胴体に足があったような形跡はない。尻尾の部分には細長い管が一本ついていて雑に巻かれていた。
「これはなんですか」
 大はほとんど無意識のうちに尋ねた。
「パープル」
 親父はぶっきらぼうに言った。
「どうやって食べるんですか」
「おう、そのまま全部食えるぞ。頭も尻尾もな。早く食ってみろ」
「……これって生き物なんですか」
 大が聞いた時、丼の中のパープルがのたりと体を動かした気がした。
 一歩後ずさった。
「おいおいお客さん、せっかくのパープルが冷めちまうだろうが」
「えっ、僕が悪いんですか? こんな得体の知れないもの食べられないですよ」
「いや、食わないなら食わないで早く帰ってくれよ。パープルが冷めちまうって言ってるだろ」
「もう食べないからいいですよ……」
「だから、だったら早く帰れよ。パープルが生き返っちまったじゃねえか」
「はあ?」
 ふと丼の上を見ると、先程まで横になっていたパープルが尻尾の管を体の下にして大を見ていた。
 大は凄まじい恐怖を感じた。
 道端でひっくり返って死んでいると思ったセミが突然羽ばたいてこっちに向かってきた時と同じ恐怖だ。
「なんだこれ! 気持ちわるっ!」
 と叫んだ瞬間、細い管をバネのように使ってパープルが飛びかかってきた。
 首にちくりとした痛みを感じた大は、店を出た。
「まいど」
 床に落ちて丸まっているパープルを、不機嫌な顔の親父が拾い上げる。
 冷凍庫から銀色のボウル出した。ボウルの中には丸まったパープルがたくさん入っている。
 親父は手に持ったパープルを軽く水洗いしたあと、水気を綺麗に拭き取り、ボウルの中に入れた。

 知らない町を散歩するのが大大田大の趣味だった。
 名所など無くて構わない。ただ見たことのない景色の中を歩くだけでよかった。
 とある休日。
 大は自宅から6駅離れた町で電車を降りた。
 町を歩きながら首をぽりぽりかいた。
 何かよからぬ病気にでもかかったのか、首の周りに湿疹のようなものができて、始終かゆいのだった。
 最近物忘れも酷いようだし、一度病院で検査してもらった方がいいのかもしれない。
 考えながら歩いていると、とある店が目についた。
 それは時代に取り残されたような、一軒の蕎麦屋だ。



 了(3031字)
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