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ペンギン少女の白昼夢

 伊藤加奈子は魚のことを考えていた。
 まんまるで大きくてぴかぴか光っている魚がいいと考えた。
 町を縦断する巨大な川の土手を歩いていると、正面からダックスフンドが歩いてくる。
 気の早い蝉が数匹、声の調子を確かめるように鳴き始める。
 季節は夏で、時刻は正午で、加奈子はペンギンだった。
 お母さんは今年の4月に48歳になった。
 お父さんは加奈子が小学4年生の時に、リンゴを喉につまらせて死んだ。
 お母さんはお父さんのことを思い出すたびに、リンゴが食べたくなる。
 お父さんが死んだ時に食べていたのは「ふじ」で、中には蜜が詰まっていて、胸のすくような透き通った黄色をしていた。
 お父さんは美味そうに食べながら野球のナイター中継を見ていた。そして急にごろんと横になった。お母さんはその時、お父さんがふざけているか、ちょっと疲れていて寝転がったのだと思った。
 けれどお父さんは起き上がることはなく、全くなんの音も立てず、苦しそうな声さえもらさず、死んでいた。
 お母さんは、リンゴが食べたくなると、お父さんのことを思い出す。

 加奈子は空が飛べない。
 ペンギンもまた、空が飛べない。
 ならば加奈子はペンギンなのだ、と加奈子は思った。
 加奈子はペンギンが好きだった。

「スパイダーマンが糸を出す時の手のポーズをしようとすると、メロイックサインみたいになっちゃうんだけど」
 加奈子は実際にやってみせた。
 人差し指と小指を立て、中指と薬指は折りたたみ、親指を外にそらす。
 それから手のひらが空を向くようにして、手首を地面側に軽く曲げる。
 この時、加奈子の小指はひきつったように曲がり、親指も縮んでしまう。
「ほんとだ。まるでメロイックサインのようだ」
「でしょう。メタラーみたいでしょう」
「うん。トゥルーメタルネバーダイって感じだ」
「そうそう。いやそうじゃないの。スパイダーマンの手をやりたいんだ、わたしは」
 加奈子が言うと、男子は頭をかいた。
「そんなこと言われてもなあ。練習するしかないんじゃないの」
「練習するほどのことでもないと思うんだ、この手は」
「もちろんそうなんだろうけどさ。けど、できないんだろう。できないことは練習するしかないじゃん」
「こんなつまらないことでも、練習しなきゃだめかな」
「うーん、できるようになりたいならね」
「じつはそれほどできるようになりたいとも思ってないんだあ」
 男子は手に持っていたクリームパンを加奈子に投げた。
 クリームパンは加奈子の肩に当たり、ビニール袋のかさかさした音が鳴った。
「わたしはただ、スパイダーマンの手ができないってことを言いたかっただけで、どうすればできるようになるかは聞いてないんだぞ!」
 加奈子は怒った。
「ごめん……」
 男子は謝った。
 加奈子は男子を許し、クリームパンを包んでいたビニール袋を破り、クリームパンを食べた。

 加奈子は公園のベンチに座っていた。
 日が暮れかけていた。町は濃いオレンジ色の夕陽に包まれていた。
 隣には男子が座っていた。
 男子はそわそわして、時折ズボンの端っこを握ったり、顔を背けて周囲を見るような真似をしていた。
「転校することになったんだ、わたし」
 加奈子が言うと、男子の動きはぴたりと止まった。
 まるで世界中の時間が止まったようだった。
 あたりはしんと静まり返り、虫の声ひとつしなかった。
「なぜ、いったいどこに?」
 男子は混乱しながら言った。
「南極に行くの。わたしはペンギンなので……」
 加奈子が言うと、男子は白目になった。
 男子はため息をついた。
「冗談かあ……冗談きついよ」
「冗談に聞こえるかもしれないけれど、本当のことなの」
 加奈子は真剣な表情だった。
 男子は息をのんだ。
「本当に転校するの?」
「わたしはペンギンなの」
「そっちかよ」
「転校もする。だから、たかしと話せるのもこれが最後かもしれない」
「ば、バカ言うなよ! 話せるって! ずっと話せるよ! よしんば本当に加奈子が転校するとしても、LINEとかで話せるだろ!」
「南極に行くの」
「そんな、バカな……」
 たかしがうなだれると、加奈子は悲しそうに言った。
「わたしのお父さんは、リンゴを喉につまらせて死んだんだよ」

 加奈子とお母さんはキャリーケースを引きずって成田空港に向かった。
 飛行機が日本から離れていく。加奈子はわずかに寂しさを感じた。
 16時間のフライトの後、ブエノスアイレス空港に到着する。
 加奈子とお母さんはホテルに泊まった。
 二人ともほとんど会話をしなかった。
 ただ使命感だけが、二人を突き動かしていた。
 翌朝、ブエノスアイレス空港からアルゼンチン最南端の町ウシュアイアへ飛んだ。
 そこからクルーズ客船で3日かけて南極に向かう。
 フェリーの中で二人は、周囲の客のように騒いだりせず、植物のように押し黙っていた。
 船内にいても気温が下がったのが分かる。
 客室の窓から見える景色はどんどん冷たく、白くなっていく。
 ある時、遠くに流氷が現れる。
 それは次第に数を増し、見る間に辺り一面を埋めていく。
 船内にアナウンスが流れる。
 南極近海の島のひとつ、デセプション島にたどり着いたのだ。
 加奈子とお母さんはツアーから離れ、ひらすら南に歩いた。
 どちらが南かは体が分かっていた。
 島の端にたどり着くと、お母さんは加奈子を抱きしめた。
 加奈子は服を脱ぎ、海に飛び込んだ。

 水が冷たかった。
 しかしそれは、馴染みのある冷たさだった。
 体を動かしているうちに、翼が水を切るのが分かった。
 水流が胴の横を滑らかに撫でていく。
 闇のような海底も恐ろしくはない。
 強い海流も心地よかった。
 ひとつ水をかくたびに恐ろしいほどのスピードが出た。
 水の流れる音の中に、地響きのような震えを感じ目をこらすと、無数のペンギンたちが自分と同じ方向に泳いでいる。
 雲のように曖昧な姿の巨大な白鯨が、ゆったりと海の底を進み、上空を眺めていた。
 いつかどこかで見たことがある光景だ。

 仲間たちと南極にたどり着いた。
 加奈子は体を震わせ水を弾き飛ばすと、もたもた歩き始めた。
 氷の上を進み続ける。
 灰色の空から凍った雪が降ってくる。
 谷間を進み、真っ白な山を回り込むと、そこには広大な氷原がある。
 溶けることのない氷の上に、ぽつんと小さな黒い影がある。
 時間をかけて近づいてみると、まるで凍土の一部のように静かな、お父さんが寝ている。
 加奈子はお父さんの頬を翼で叩いた。
「なんだ、加奈子」
 お父さんは慌てたように起き上がり、まんまるな目で加奈子を見た。

「うんこを我慢するのに一番適したポーズってどんなのだと思う?」
 たかしが馬鹿なことを言うので、加奈子はため息をついた。
 それから仕方なく、両手を脇腹につけ、上半身を前傾させ両足を閉じた状態で軽く膝を曲げるポーズをとってみた。
「なるほど……」
 たかしは加奈子のポーズを見つめながら何度も頷いている。
 加奈子は急にむなしくなってポーズをやめ、デパートの自販機の横のベンチに腰掛けた。
 少し離れた所にたかしも座った。
「なあ加奈子さあ、最近ちょっと変わったよな」
 たかしは遠慮するように言った。
 加奈子は言うべきかどうか、少し悩む。
 言ってもたぶん、理解できないと思う。
 変わったのは自分ではなく、世界だったからだ。
「信じられないかもしれないけれど」
 くちばしを撫でながら、加奈子は話し始めた。



 了

2918字
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コメント

No title

はいでぃほー。

連続コメント失礼しますが、こちらの作品にも書かせて下さい!

すごく不思議な作品で、解釈に迷ったのが正直なところでした。でも、ここはストレートに読み取りたいと思います。
加奈子ちゃんは多分、本当にペンギンになったんでしょうね。それをたかし君がちゃんと認識してるかは別として。笑
元からペンギン説も考えたんですけど、それだとメロイックサインはできない訳で…ん?苦手だったみたいだから、そもそもできてないのかな?
どちらにせよ最後にはペンギンだったと信じます、私は(倒置法)。

関係ないですけど、いとうかなこちゃん…なんだか歌が上手そうなお名前です。

先ほどコメントさせていただいた「モノクロ・アース」にも言えることなんですけど、ずっと誤解されない(不快に思われない)感想を書くにはどうしたらいいんだろうか。っていうのを考えて、なかなか書けないでいました。
でも思ったことを飾らないで言いたかったんで、感想らしい感想ではないですけど、どうかネガティブに受け取らないで下さいね…って、ちょっと言い訳みたいなことも添えて…
ほんとに簡単過ぎる感想なので、どちらともお返事なしでも大丈夫です!でももしいただけるなら、どちらか一方にまとめて…で、お願いします。笑

ではでは、また!

Re: No title

 hanacoさん、はいでぃほー!!

 すみません。
 先にモノクロアースの方のコメントを拝見させて頂いてレスしてしまいましたので、こっちの最後の文が読めていませんでした。
 なので、こっちは簡単に書かせていただきますね!

 僕はこういう変な(いっそわけが分からないような)話を書くのが何故か物凄く好きで、書いている間は自分でも何を書いているのかよくわからないので(そこが楽しいのですが)、読んで頂いた方には大変申し訳無いのですが、ちょっと迷ってみてください……という気持ちで提出していますw
 ですのであらゆる解釈をして頂いて大丈夫で、むしろ何か考えて頂いた段階で、凄い人だと思っています。読むのを放棄しても仕方ない話しだと思うので。
 なのでhanacoさんが感想まで書いてくれた時点で相当嬉しいです。大変でしたでしょう、これを読むのは……ありがとうございます……!
 加奈子ちゃんは多分ペンギンになったのだと思います。お父さんが不自然に亡くなってお母さんと加奈子ちゃんの「普通」がなんとなく壊れていく話しかなと考えてみます。ありえないことを受け入れるしかなかった加奈子ちゃんの妄想というか、内なる新世界の創造みたいな話しと、お母さんの狂気の話しかもしれません。という僕の解釈も、数ある考えのひとつですので、あまり気にしないでくださいねw

 言われて気づきましたw
 世界線を跨いだ話しだとすると主人公にぴったりじゃないですか……

 そのような繊細な心配りや気遣いを、ぼかぁ大変好ましく、かつ嬉しく思います。
 ぼくも感想を書く時、凄く悩みます。これを書いたらモチベーションが下がるんじゃないかとか、この言い方は意図しない読み方ができてしまうとか……。
 ですので、その苦しみというか、困ってしまう感じを仲間に味あわせたくないですね。ほんとに自由に書いてくださいな。
"でも思ったことを飾らないで言いたかったんで”
 最終的にここに辿り着いたようで、良かったです。
 作品に対する感想がどうであれ、hanacoさんがhanacoさんらしくある限り僕はhanacoさんを信じていますよ。

 本来はこの20倍の長さのレスをしようと思っていたのですが、簡単にしました()
 長くてかたじけない……。

 コメントありがとうございました!
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Author:伏田竜一
かわいい物とかっこいい物が好き。
創作を取り上げると死ぬ。
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