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真っ黒な世界で愛を

 映画俳優の北島公春が演じた青春映画『ブラインド・スプリング』が空前絶後のブームになっている。
 北島扮する徳永盛人は盲目のピアニストで、あるピアノコンクールに落選してからピアノが弾けなくなってしまうのだが、謎の少女と出逢い、一緒に生活するうちに自信を取り戻して最終的にはプロのピアニストになるのだが、徳永は最終的に死んでしまう――なんてよくあるストーリーだ。
 北島は少年自体からピアノのレッスンを受けていて、映画の中でも非常に美しい旋律を奏でていた。楽曲も良くて、見に行った僕と妻も影響を受けてサントラなんぞを買ってしまったほどだ。
 だが世間的には――どうしてそうなったのかよく分からないのだが――盲目であるということがどうも流行っているらしい。
 妻に言わせると「目が見えないってことは容姿に惑わされてないってことじゃない? つまり面食いの全く反対の意味で愛ってことじゃん? 物凄く心を愛してるってことじゃん? それって一番の愛だと思うんだけど」
 一番の愛と言われても……と僕は困惑を隠せないのだけれど、世の女性の中ではそういう流れになっているらしく、各種メディアも「暗闇の中で輝き続ける真の愛」という路線を推しているようだ。どうも背景には高齢化社会が潜んでいるように思うんだけれど……。年取った自分を見られたくないとか……そういうことではないのか?
「違うって。あんたの顔を見るのに飽きたって言ってるの」
 カウンターを見事に決められ、僕は押し黙った。
 まあそういう雑談は良いとして、ある日妻がメガネを買ってきた。
「ほら、これかけてみて」
 外見は普通の眼鏡だ。
 僕は言われるがままにかけてみた。
 すると世界がぼんやりと見えた。
 当たり前だ。
 僕は目がいいのでメガネをする必要はないのだ。だから普通のメガネをかけると度があってなくて――もちろん合ってるはずがないんだけれど――ぼやけて見えるのだ。
「見えない」
 と答えながら外そうとすると、手を押さえられた。
「そう! それで正しいの! 合ってる!」
「いや、合ってないんだよ」
「合ってる! それは盲目の練習用のメガネなの。これからだんだんあなたは盲目になっていくの! つまり真の愛に近づいていくってことなの!」
「ことなのってなあ……」
「みんなやってるからうちもやろう! じゃないと夫婦仲を疑われてしまうから!」
 妻がわりと本気で言っていることに気づいて、僕は仕方なくメガネをかけ続けた。
 テレビもよく見えないし、本もろくに読めない。すごく退屈だが、普段はあまり口を効かない妻が、この日は色々と話しをしてくれたのが嬉しくて、ついついそのままにしてしまった。
 テレビの解説もしてくれるし、頼めば本も読んでくれる。
 耳は聞こえるので『ブラインド・スプリング』のサントラを一緒に聞いたりしていると、出会った頃を思い出したようで、なんだか小っ恥ずかしいが、ロマンティックな気分になったりもした。
 この盲目メガネは本当に流行っているようで、会社の同僚や先輩の話を聞いてみると「うちもだよ困ったよ参っちゃうよ」という定型文がすぐに返ってきた。しかしみんな口調は軽々しい。やはり奥さんに丁寧にしてもらって、ほんとは少しうれしいのではないかと思う。つまりこのブームは夫を世話するというところにも意義があるらしかったので、女性はみんな優しくなるみたいだった。
 妻がだんだん盲目レベルの高い眼鏡を買ってくるようになる。レンズは度が強く、更にサングラスのように黒い色がついている。もうほとんど見えない。
 しかし妻の世話もどんどん情熱的になってくる。ぼくは家に帰るとソファーに寝ているか、音楽を聞いているくらいしかやることがない。もういっそ、北島公春のようにピアノでも始めればいいのだろうか。
 同僚に聞いても答えは同じだった。みんな家ではぼーっとして過ごしているのだという。
 世の中がだんだん静かになっている気がする。
 会社のある街は、深い時間になると酔漢が道端で吐いていたり、威勢の良い若者が肩を組んで歌を歌っていたりしたのに、最近ではそういう光景も見なくなった。たぶん、男も女もみんなさっさと家に帰るようになったのだ。家には確実に安らぎがあるんだから。
 ある時、ぼくは完全に真っ暗なメガネをかけることになる。フレームがとても大きくて、光はほぼ入ってこない。暗闇だ。今まで盲目メガネで鳴らして来たので家での生活は特に問題ないし、妻も相変わらず優しい。
 ぼくは安らかな暗闇の世界で、ぼーっとしている。
 美しい旋律が聞こえる。世界にたった一人の女の声が聞こえる。
 ソファーにいつまでも寝ている。
 平和だ。
 体が地面に沈み込むような、深い眠気を感じる。
「愛しているわ、あなた。これが真の愛よ……愛は永遠……」
 妻の愛しい声が耳元で響いた気がする。
 そこでぼくはぼんやりとあの映画を思い出している。
 あの主人公のピアニストは、最後に死ぬのだ。
 暗闇の中で、真の愛を信じ続けるのだ。



 了

 2003字

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