モノクロ・アース

 人類は月より遠くの星へ行こうと思った。
 太陽系を出て、更にもっと遠くへ行こうと思った。
 でも人間は直接見に行くのを怖がった。戻れなくなるかもしれなかったから。
 だから機械に見に行かせた。
 機械は宇宙に打ち上げられ、地球に向けてデータを送信しながら突き進んだ。
 何もない宇宙でも機械はよく故障した。
 制御システムが壊れた。通信システムも壊れた。推進装置が壊れた。原因が分かっているものもあれば、最後まで原因のわからないものもあった。とにかくよく機械は壊れた。壊れていない機械は、壊れかけて戻ってきた。無事な機械でも、まともなデータが採れていないものもあった。みんながっかりした。でも機械はいつだって最善を尽くした。
 機械は決められたことしか出来なかった。
 だからもっと柔軟な対応ができる(と見込まれた)AIが調査に行くことになった。
 世界で一番最初の対話インターフェイス方式を採用した人工知能搭載型宇宙探査機<さるたひこ>は、そのような経緯で宇宙旅行に行くことになった。愛称は「さるちゃん」で、彼の為に宇宙服を着たお猿さんのマスコットキャラクターが作成された。
 しかし彼の名前の由来になった日本神話の神「猿田彦」は、猿と一切関係がなかった。どちらかというと猿田彦の姿は「天狗」に近いとされている。猿田彦は旅の神だ。開発者は神の名を借りてまでプロジェクトを成功させたかった。
 さるちゃんは出発の前日、朝のニュース番組に出演した。手のひらサイズの宇宙服を着た猿がアナウンサーによって丁重に運ばれテーブルの上に座らせられた。人形にはマイクが仕込まれていて、音声データは遠く離れた種子島さるちゃん本体へ送られる仕組みだった。さるちゃんの応答はスタジオに設置されたモニタースピーカーからそのまま出力された。たったそれだけの装置の為に10人もの専門スタッフがスタジオに詰め、3日かけて調整が行われた。スタジオは外見の呑気さとは裏腹に張り詰めていた。さるちゃんの「機嫌が悪い」と判断された場合には即刻接続を打ち切る予定だった。さるちゃんの対話インターフェイスは探査任務にのみ特化しており、雑談はそれほど得意とは言えなかった。そのことを番組製作者はよく理解しておらず、AIなんだからおしゃべりくらいできるだろうと考えていた。ダチョウに向かって空を飛べと言っているようなものだとAI開発者は思った。
「さるちゃーん、こんにちは」
 女性アナウンサーが笑顔をこわばらせて話しかけた。マイクを猿の口元に移動させる。
「みなさんこんにちは。ぼくはさるたひこです。明日宇宙へ行きます」とさるちゃんはたどたどしく言った。
「わあ! おしゃべりが上手ですね! 今どんな気分ですか?」
 アナウンサーが再び猿へマイクを向けた。
 さるちゃんは少し考えた。スタジオの空気の密度が更に15%ほど増した。みんなさるちゃんから目が離せなくなった。専門スタッフは顔を青くさせて接続状況やインターフェイスのコンディションをチェックした。1000項目にも及ぶ長大なセルフコンディションチェックが五分間隔で繰り返されていてもまだ不安だった。
 永遠に続くかと思われた沈黙の後、
「耳がかゆい」とさるちゃんは言った。
 スタジオは爆笑に包まれた。テレビを見ていた視聴者も笑った。アナウンサーは機転をきかせて人形の耳をかく真似をした。ニポニポ動画ストリームの視聴者の手の早い何人かはSNSに「耳がかゆい」と打ち込んで拡散させた。人工知能が人間を模して冗談を言うのをみんなが楽しんでいた。しかしスタジオに詰めていた専門スタッフだけは笑っていなかった。外部音声入力担当・小林進は即座にさるちゃんの言ったことを理解してスタジオのモニタースピーカーの「返り」を小さくするようにスタジオの音声系に頼んだ。さるちゃんはアナウンサーの声だけでなく、モニタースピーカーから発せられる声にも反応しているために応答が遅くなっていると考えたのだった。即座に調整がなされ、さるちゃんはインタビューをそつなくこなした。
 彼は雑誌やテレビに取り上げられたが、そのコンテンツを入力する間もなく宇宙へ旅立った。さるちゃんにはそっちの方が良かった。人間のことより宇宙に興味があったから。

 さるちゃんは任務をよくこなした。太陽系内の惑星の軌道を観測し温度を計測し遠くの星々を眺め自らの居場所を見極め進路を微調整し燃料の残量を確認し速度を計算し天体を撮影し体に異常が無いか確かめ、全てのデータを地球の宇宙センターに送信した。
 さるちゃんが送信するデータのほとんどはデータ容量の小さいテキストか画素の粗い画像だった。画像は開発者が外部カメラを操作して撮影することもあれば、さるちゃん自身が興味のあるものを撮って送ってくることもあった。動いているもの、明るいもの、温度の差のあるものに興味があるようだった。星の写真もあれば、何を撮ったんだかよくわからない真っ暗な写真もあった。
 時々開発者と音声をやりとりすることがあった。打ち上げから既に三ヶ月が過ぎており、さるちゃんのことはほとんどの人が忘れていたが、一部の宇宙ファンは動画配信サービスで放送されているさるちゃんと開発者との会話を楽しみにしていた。
 さるちゃんは時々不思議なことを言った。
「見晴らしがいい」とか「息苦しい」などの感覚的な言葉だった。
 みんな出発前の「耳がかゆい」という言葉を思い出した。
 言葉の綾ではなく、彼には本当にそういう感覚があるのかもしれないと思った。
 ある時、気の緩んだ開発者がこんなことを聞いた。
「寂しくない?」
 開発者は言ってから少し後悔した。
 いくらなんでもAIに感情は無いはずだった。
 さるちゃんはいつものように思慮深く考えたあと、
心配ないよオール・グリーン」と答えた。
 さるちゃんを息子のように考えていた開発者は涙をぬぐった。

 6ヶ月が経過して、さるちゃんは通信可能圏内を出ることになった。
 これから20年もの間、さるちゃんは孤独に宇宙をさまようことになる。
 地球からの通信は届かず、さるちゃんからの一方的なデータ送信だけが続けられる。その上データ自体が地球に届くまでに何日もかかるので、彼がどのような状況にあるのかはリアルタイムで知ることができない。宇宙センターには彼との別れを惜しむ声が満ちた。ここからが本当の旅だった。帰ってこれる可能性はとても低かった。
 何十人もの開発者が宇宙センターに集い、さるちゃんを励ました。さるちゃんは途切れ途切れの音声でお礼を言った。最後の一人が別れの言葉を告げ、さるちゃんは「いってきます」と答えた。さるちゃんから、通信可能圏内での最後のデータが送られてきた。その中にはとある惑星の画像が含まれていた。データ量を小さくするために、全ての写真はモノクロで撮影されている。
 写真に収められていたのは、白黒の地球だった。
 開発者のひとりは、その写真を見て確信した。
 さるちゃんは、必ず帰ってくると。



 了

 2806字
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コメント

No title

はいでぃほー。

遅ればせながら感想を失礼します!!

さるちゃんとアナウンサーのやり取りのシーンは、情景が目に浮かぶみたいでした。
ワイドショーあるある!まるで実際に出演した時の様子を書き出してるみたいに思えて、とても自然です。

お話全体を通しては、はやぶさを思い出して目頭が熱くなりました。
開発側と外野は全然違う視点で見てるけど、「頑張って欲しい」って気持ちは多分、同じなんだなぁ。って思いたいです。

ではでは、また!

Re: No title

 hanacoさん、はいでぃほー!

 感想ありがとうございます。
 いつもコメントくださって、大変励みになっておりますよ。
 今度鮎の塩焼きを食べに行きましょうね。(口説きました)

 そのシーンは自分でも気に入っているのです。よかった。やはり自信があるところとか、面白く書けたなあと思っているところって、伝わるんだなあと思って嬉しいです。
 スタジオの緊張感とか、アナウンサーさんの白々しい感じ(たどたどしい感じ)とかを想像して書くのが楽しかったです。うーん、描写に自信がついてきました。ありがとうございます。

 僕もちょっとはやぶさのことを考えていました。
 はやぶさが話せたらこうなるのかもしれないですね。というか、こうなったらいいなあと思いますw アホみたいな話ですが僕も書きながら目頭が熱くなりました。やっぱり話せるモノだと感情移入してしまうのかなと思います。
 そういえば後半、視聴者側の視点を全然書いてなかったです。ニポニポ動画ストリームのひとりにクローズアップするとかやればよかったですね。宇宙が凄く好きな少年とさるちゃんの交流とか……そうしたら「頑張れ」の気持ちを視聴者側でもっと表現できたかもしれません。ありがとうございます、勉強させて頂きました!

 コメントありがとうございます!
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