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透明な動機

 人を殺しても法で裁かれないカードがあって、それが配られることになったらしい。
 私はそのカードについてよく知らないし、興味もなかったのだけれど、22歳の誕生日にポストに入ってた瞬間から否応なく考えなければならなくなった。
 見た目は運転免許証にそっくりで、免許の更新とかは特に無いらしい。私の社会的な各種番号と紐付いているので他人に譲渡したりはできないんだけど、そもそも人にあげようと思う人もいないんじゃないだろうか。
 カードを手に入れてから誰かを殺そうと思ったことはない。私は親しい友人もいないし恋人もいないし、親とは離れて暮らしている。会社の人はみんな穏やかで特に殺したいとは思わない。深いつながりが無いってことは、深い憎しみもないってことだ。そう思うと若干悲しい。
 時々混んでる電車で迷惑な人がいたりすると殺そうかなと思うことはあるけれど実行したりはしない。街の中で誰かが殺されているところを見たこともない。(私にその権利があるんだから、もっとたくさんの人が殺されていてもおかしくはないはずなんだけれど)
 人殺し許可証の話を知り合いに尋ねてみると、まるで都市伝説のような扱いを受けていることに気がつく。みんな存在は知っているけれど見たことがないと言う。だから私もこのカードの事をそういう風に扱うことにしている。持っていることも隠している。おおっぴらに言うことでもない。もしそんなことを言えばきっと嫌われてしまうだろう。よしんば嫌われなくても、本心で話したりしてくれなくなるかもしれない。うっかり私の悪口を言って、私に殺されないように、嘘を言うようになるかもしれない。それはそれで人生がつまらなそうだ。
 私は人殺し許可証を持っている人による殺人について調べた。でもネットにも新聞にもほとんど情報は無かった。カードを持っている人の殺人は罪ではないのだからニュースにならないのは当然で、だから情報が無いのかもしれないと考えた。こっそり殺して、のうのうと生きる。そういう人がこの社会に実はたくさんいるのかもしれない。そう考えると怖くなったけれど、すぐに恐怖なんてなくなった。私は殺せる側なのだから、立場が逆なのだ。私は恐れられる方だ。そう思うと勇気が湧いてきて、ちょっとした優越感もあっていい気分だった。けれどよくよく考えてみると状況は前と一向に変わっていなかった。私はカードを持っているだけで、誰も殺したいとは思っていない。
 人殺し許可証を持っていない人による大量殺人が起きた。古式ゆかしい普通の大量殺人だ。これはニュースになった。犯人は若い男性で、凶器に使われたのが西洋のグレートソード(重くて長くて無駄に大きな剣だ)だったので、いつものようにアニメやゲームの影響が取り沙汰された。彼の家からはもちろんファンタジーなゲームやマンガやアニメのDVDが出てきた。そんなのは誰の家にだってあるんだけど、ニュースが取り上げるとほんとに影響があるのかなあと思わされるから不思議だ。更にその人の家からは人殺し許可証の入手方法や偽造の方法が記されている実に怪しげが本が出てきて話題を呼んだ。その犯人は人殺し許可証に憧れていたのではないかという。確かに持っていない人からすると、便利そうに見えるのかもしれない。世の中には人を殺したい人が思っているよりもたくさんいるのかもしれない。
 この事件を受けて人殺し許可証の存在はお茶の間の中心的話題となった。お昼のワイドショーではよく物知りの人たちが怒ったような口調でやり合っていたし、雑誌でも取り上げられるようになったし、次世代アサシンガールという一大ファッションジャンルも生まれて、原宿には黒ずくめで血まみれの女の子達が闊歩することになった。そして私は、それでも人を殺そうとは思わなかった。
 インターネットの深部に人殺しカードを持っている人たちが集まる古臭い掲示板があって、人類の粛清とか選ばれし者たちだけの世界を作るとか言い合っている場所があった。私はカードの情報を集めていてそこにたどり着いた。彼らはある場所に武装して集まって国のお偉いさんが集まっている場所を襲撃する計画を立てた。永田町駅前に集まったのは12人だった。私は遠くからそれとなく彼らを観察していた。結果として彼らは国会議事堂の入り口辺りまでしかいけなかった。乗り込んで行った最初の一人が守衛に撃たれて死んだ瞬間に解散となった。12人は自分たちが強いと勘違いしたんだと気づいた。彼らは人殺し許可証を持っていたかもしれないけれど、ただの人だ。私と一緒の、普通の人間だ。何か特殊な能力があるわけでもないし、肉体的に優れているわけでもない。つまりこのカードは、本質的には持っていようがいまいが、あまり関係のないカードなのだ。
 カードが無くたって人を殺せるし、カードがあったって殺そうと思わない人は思わない。
 カードを持っているからといって人を殺すと、殺した人の親族や友人に殺され返す危険性は常にあるわけで、カードの有無にかかわらず殺人のリスクは高いままだ。
 じゃあこの人殺し許可証に何の意味があるのかというと、結局は――私がそうしたように――人の命とか社会について考えさせる為にあるのではないかと思った。
 私はカードをはさみで切ってゴミ箱に捨てた。
 冷蔵庫にしまっておいたプッチンプリンを出して、テレビを見ながら食べた。
 プッチンプリンは、人殺し許可証より役にたった。



 了

2212字
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Comments 2

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hanaco  
No title

はいでぃほー。

面白かったです。

私がこのお話を読んでる最中に思ったのは、「殺した相手の親族がカード持ちだったらどうするんだろう」でした。その時点ですでに盲目になってたんですね。
"カードが無くたって人を殺せる"
現実にこれだけ殺人事件が溢れてるのに、どうしてそれに気付けなかったんでしょう。
そこまでいかなくても、正当防衛で返り討ちに遭う可能性だってあるのに。

この主人公のすごいところは、自分の優位性に慢心して人をころすなんてことをしなかったのもそうですけど、カードをはさみで切り刻む勇気を持ってるところだと思います。
私なら、いつか何かの役に立つかもしれない。とか考えて取っておくかもしれないですもん。笑

"人を殺してはいけない最大の理由は人を殺してはいけないというルールがあるからだ"
っていうのは私の好きな作品に出てくる一文なんですけど、じゃあルールがなければ人は人をころすのかというと、殺され返すリスクを背負える(または、そこまで考え至らない思慮の浅い)者だけが実行するんだろうな。と。
伏田さんのこのお話を読んで、改めて考えさせられました。

ではでは、また!

2018/07/02 (Mon) 20:39 | EDIT | REPLY |   
伏田竜一  
No title

 hanacoさん、はいでぃほー!

 ありがとうございます!
 面白いというお言葉、何よりの褒美でございます。(家臣みたいになってすみません)

 ほんとに考えてくれたんですね……! ありがたいことです。
 カードを手に入れた段階で色々考えてしまいそうですね。
 hanacoさんの言うとおり、相手の知人が持っていると殺され返されるかもしれませんし、相手自身が持っている場合、殺そうという気配がバレた時点で殺される可能性があって……って考えていくと、相互監視社会みたいになって逆に平和になるんじゃないかなあと思ったりもしました。社会的ルールの外の個人的ルールが強化されるというか、私刑も平気で起こるはずなので、一段とマナーにうるさい社会になるかもしれません。

 ぼくもとっておくと思いますw
 あととても嫌いな人がいたらカードを水戸黄門の印籠みたいにして「そこに直れーい!」ってやると思います。ぼくすぐ殺されるタイプです。
 この主人公が捨てたのは、もしかしたら考えるのが面倒になったからかもしれないですね。
 家に隠してあったとしても、誰かに見られることがあるかもしれないし、持っているだけで「誰かを殺したことがあるかも」という偏見の目で見られるかもしれません。普通に暮らそうと思ったら捨ててしまった方が、気が楽かもしれないです。

 うーん、すごく良い言葉ですね。ルールってたしかに、そこにどういう意味があるのかよりも、ルールそのものに力があるパターンが多そうです。
"殺され返すリスクを背負える"
 この一言に尽きますね。
 この一文だけで、色々書けそうなくらい、深い意味があると思います。

 コメントありがとうございました!

2018/07/02 (Mon) 23:00 | EDIT | REPLY |   

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