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お通し二杯目

「丑三つに散華囁き果てて夢マタハジメヨウ空蝉の歌……」
 先輩の清流のような唄声が背後から聞こえる。
 それから、凛、と呟いた風の鈴の音色。
 艶やかと言えば少し身内贔屓ではあるが……イヤイヤ、これは常識いささか狂態である。先輩、たぶん俺を強襲する為に鈴など持ち出したのだ。凝らした趣向を笑うつもりなど微塵も無いけれど。
「オカシナ歌ですね。誰の歌ですか」
「もう百年も前に、刻限板という方が唄ったそうよ」
「まず浅学非才を詫びさせて頂きたい。それ、どんな意味があるんですか」
 俺は対して興味もなかったが会話の接穂として放ってみる。

「真夜中に起きたら花の散る音が聞こえたような気がしたけれど夢だったのかしら、そろそろ蝉の歌が聞こえそうな季節なのにね……」
 という歌よ。と先輩は呟いて俺の耳元で鈴を小さく鳴らした。凛。

 説明されれば良い歌のような気もしたが、分からないものは分からないのだ。
「言われてやっと分かる歌など、なんの意味がありましょうか」
「まあ、尊大ちゃん……ウフウフウフ、意味などあって無きが如し。歌の真髄は理解することではなく、感じることではなくて?」
 言い負かされた俺は、そこでやっと振り返ることにして、先輩の姿を見るのだった。
 公園の薄白い照明の下に、不吉さと清廉さとグロテスクさと美しさの入り混じった曼珠沙華の花畑が描かれた浴衣を着た先輩が手に風鈴をぶら下げて幻覚のように立ち尽くしている。髪を後頭部でまとめて前髪をピッシりとピンで揃えているかんばせは人形のように白く作り物めいて美しく、ただ口紅の黒いほどの赤が脳裏に焼き付けられる。
「綺麗だ、と言いなさい」
「綺麗だ……」
 ご破算で願いましては半分冗談で半分本気で、答えは夏祭り。
「いつまでも見惚れていていいのだけれど」
「蚊に食われます。焼いたそばでも食いに行きましょう」
 力技で顔を背けて俺はいつもどおりを装って先を歩く。
 とんとんとんとどこかで気の抜けた太鼓の音がしている。不定期なリズムにあわせてかしゃんかしゃんしゃんと鳴り物が重なって、風が吹き抜けるような笛の音が、出処も定かでない癖に俺の胸をかき乱す。
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