いろいろなこと


完全に自分の文体を忘れております。
わりと自由に様々なことをとぅとぅとぅっと書いていて、長いので、続きからどうぞ。


 この物語はフィクションである。


 けものみち。どこもかしこもである。道なき道をぽたぽた歩いている。
 道に仕掛けられている無数の罠! 袖触れ合うもの全て良縁。情けは人の為ならず、旅は道連れ世は情け。踏み分け道をぽるぽる歩いている。ややもすると見失う。どこが道か。あの木の陰か、草むらの果か、崖の向こうか。否。道など無いのであった。
 獣道。それは道なき道であった。君の前に道はない。君の後に道は出来る。迷わず行けよ。行けば分かるさ! 山を行けよ海を行けよ。一握の砂をつかんで死んで行った人達を踏み越えて君は今日も呼吸をしている。生きているということは汚い。でもマザーグースは言った。汚いは綺麗なのだと。光の元に影がある。すべての相反する概念は相反する概念の元に際立つ。影がなければまた光も存在し得ない。獣みち。それは全ての道以外の道だった。僕達は獣道を歩いている。誰かが敷いたレールの上を行くとき、誰かが敷いたレールなんてものがこんなにも脆いのだと、壊れてしまいそうなのだと知るのだ。全ての財も愛も約束も生も、何の力も無かった。ただそれは在り、ただそれは失われていくのだった。けれど悲しむことはない。万物は壊れるようにできている。君が好きになった女の子はみんな最後は灰になって消える。君が好きになった男の子はみんな最後は血と肉と骨になって消える。我々は巡っていて、我々はすべて大したことがない。けもの道。それは生きているということの全てだった。道がないということを恐れることはない。道なんて最初からないんだから。だから本当に恐れるべきなのは、歩くつもりがなくなることである――。

 会社が長期休暇の準備でとても忙しい。
 ストレスが結構マッハだ。おかげでまた太った気がする。どんどん巨大化している気がする。このまま僕はウルトラマンくらい大きくなって、世界を破壊できるかもしれない。世界の破壊を阻止しようとする特捜隊を光線でけちらせるかもしれない。火が吐けるかもしれない。冷凍させられて街の中の巨大建造物みたいになるかもしれない。
 悪かよ。

 悪について。
 クッパはよくピーチ姫をさらうけど、あれはなんでだ。
 なんでピーチ姫をさらう。他の女ではダメなんだろうか。ピーチ姫をさらうとマリオが必ず取り返しにくるということをクッパは何故学ばない。そして何故クッパは亀を使役し続ける。というか何故亀が敵役なのか。敵ってなんなのか。マリオは何故あんなに強いのか。マリオにとってキノコとは一体なんなのか。ピーチ姫は桃の割にキノコの国にいるのは何故なのか。キノピオとクリボーが少し似ているのは何故だ。ファイヤーフラワーを食べると手から火が出るのは何故だ。何故キノコを食べるとマリオが巨大化する。マジックマッシュルーム説は正しかったのか。というかテレサが百体くらいいればマリオなんてすぐに殺せるのではないか。というか亀に触るとマリオは10メートルくらい上空に飛んでから落ちてきて死ぬが、一体何が起きているのか。
 魔界村にしてもそうだ。何故姫がさらわれる。姫ってそんなにいいものなのか。姫をさらうとどんないいことがあるんだ。えげつなく性欲を話題に出してもいいが、敵は悪魔だったり亀だったりする。あの人外が世間並みの性欲云々で姫をさらったりするのだろうか。それとも構造としての姫であり、構造としての悪なのか。それらは象徴でしかないのか。それらはマリオという主人公を冒険させるための装置でしかないのか。だとしたら、本当の悪はマリオではないか。マリオがいなければクッパも存在しないのだから。正義こそが悪だとしたら、僕は悪でも構わない。クッパはピーチ姫をお城の奥に隠した。そこできっととても丁寧に扱われているのだと僕は思う。クッパは一途で繊細な男だ。偏執的でサイコパスでカリスマで、悪のすべてを背負って立つでかい男だ。その責任感たるや尋常なものではないはずだ。その点マリオはどうだ。ただの水道屋だ。たまたまピーチ姫という女と知り合いだったかなんだったかで主人公になっただけのただの人だ。僕達は本当は悪を目指すべきだったのではないのか。僕達はマリオではなく、ノコノコなのではないか。主人公に踏まれて死ぬだけの、それでも精一杯前に進み続ける、亀なのではないか。

 先日、過去にちょっとだけ日記を書いていたブログに、なんとなくアクセスしてみた。僕の心がマックスで荒廃していた頃のブログで、読み返す勇気もなくてそっ閉じだった。あのブログで一人だけ友達になった引きこもりの子はもうブログを辞めていた。僕もそのブログを近いうちに消そうと思った。全て無駄になったかもしれない。けれど僕は思うのだが、なんというか、ああいう場所がなかったら今の僕もないし、下手したら死んでいたのではないかと思うのだ。考え過ぎだけど、何かを捨てる場所が人間には必要だし、また何かを得る場所も必要なのだ。弱い人間ほど強がるが、そういった人間ほどもっとたくさんのものを得ていかなければならないのではないかと思う。というのも自己肯定に見えるだろうか。僕は自分を肯定することで君を肯定したいとも思っている。基本的に人間は自分という物差しの他に、他人を計る方法を持っていないから。

 君っていうのは架空の君のことである。
 架空の君に向かって文章を書いているのもなんだか客観的に不気味だけれど、フィクションを書き慣れてくると全然そういうのが気にならなくなってくる。
 気にならないっていうのは一種の狂気なんだけど、それはここでは語るまい。
 僕達は正気と狂気の間を常にふわふわ漂わなければ生きていけないのだから。手がない人と握手はできない。目がない人には虹が見えない。僕達は正気と狂気の狭間にいなければならない。簡単でしょう。

 病気について。
 病気というのは、苦痛が一週間以上くらい長引くことである。
 または周期的に苦痛がやってくることである。
 一時間で髪が全部抜けて骨が120本折れて体が縮んで最終的に柴犬に変身しても苦痛がなければそれは病気ではない。
 頭ががんがん痛んで、体中に謎のウイルスが住んでいても苦痛がなければ病気ではない。
 内臓が全部腐って目ん玉が取れても苦痛がなければ病気ではない。
 冗談で言っているわけではなく、明日死ぬとしても苦痛がなければ病気ではない。
 病気とは苦痛を言い換えただけのものだ。
 逆に言うと、ちょっと熱があるだけの状態が一週間続いても苦痛なら病気である。
 突き指しても苦痛が長引けば病気である。
 三日に一度誰かに殴られるとして、苦痛ならそれも病気である。
 生きていることが苦痛ならそれも病気である。
 病気と非病気(健康という意味ではない)の違いの次は、病気の治し方なのだが、病気の特効薬はたった一つで「治りたいと思うこと、治るように行動すること」だ。
 当たり前のように見えるが、当たり前という概念は、それまでたくさんの人がたどり着いてきた集合知のようなものなので、一番エビデンスがある考え方といってもよい。
 つまり当たり前ほど信用できる。
 治りたいと思うことは、それほど難しくない。
 けれど治るように行動することはめちゃくちゃ難しい。
 本当の本当に難しい。
 虫歯を放置してしまうこと然り、ニキビを放置しておくこと然り、胃痛をほったらかしにしておくこと然り、よくない企業に勤め続けることもそう、ダメ男にたかられるのもそう、お菓子を食べすぎるのもそう、酒をやめられないのも、全部そう。
 人は必ず「否認」する。
 ぼかぁ大丈夫だい、と言う。
 わたしなら平気よ、と言う。
 まだ平気だとか、これからよくなるとか、言って死ぬ。
 かくいう僕も、行動に移すのが難しい。
 ゆめゆめ忘れることなかれ。
 君は大丈夫か。
 そうか、大丈夫か……えっ?

 最近、イラストを描いている。
 連続で17日くらい、描きまくっていた。
 楽しかった。けどもちろん楽しいだけではなかった。辛い時もあった。頭の中にある絵が上手く取り出せない時は自分の力不足を痛烈に感じる。だがまあ、それでもぽちぽち続けて描いていた。
 描いている時間は充実し過ぎて、もう一ヶ月くらい描き続けている気分だ。上手く描こうとすると上手く描けないことがわかってきた。面白く描こうと思うと少し上手くかけることもわかってきた。この調子で一年間も描いていれば相当に上手くなってしまうことだろう。
 ところであるプロのインタビューを読んだら、プロは一日12,3時間は絵を描いていて休みは週に一回で、週に一枚の絵を仕上げるらしかった。それだけ書き続けるのも凄いけど、一枚に70時間もかけるのも凄い。それくらいしないとちゃんとした絵って描けないんだろうなあと思った。てか村上春樹(ゆゆこ先生も)とか午前しか仕事しないらしいんだけど、小説作家の優雅さが最近目立つ。絵描きはたいがい描くことに対して病的な執念がある人ばかりだと思うけれど、それを考えると業が深い職業だなあとは思う。業界の体制もあんまりよくなさそうだ。漫画家の方が儲かるのは確かだけれど、そこまで切羽詰まってやらなくてもなんとかなる作家の方が気は楽かもしれないなあとかふわふわ考えている。

 なんとなく考えていたことを、なんとなくつらつら書いてみた。
 みなさまの考えの元になったらいいなと思う。

 "脳は想像と記憶を区別しない"

 いい言葉だと思いませんか。
 僕達は想像を思い出せる。
 考えたことは、常に新しい考えの礎となる。
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コメント

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Re: No title

 鍵さん、こんばんは。

 なんだか僕も、ずいぶん時間が経ったような気がします。時の流れは早いものですね。それとも、求めているものがやって来ない時間というのは、長く感じるものなのでしょうか……(口説きました)

 おっしゃる通り、僕は何故だか創作全般が好きでたまらないのです。小さな頃は、絵を描くのも文を書くのも大嫌いでした。その反動で、今、こうなっている気がします。光と影です。喜びと苦痛も、表裏一体なのかもしれません。であれば、苦痛を感じている自分を、否定するのではなく、認めていくべきなのかもしれません。影なんて無いと言い張っても、あるものはあります。美味しい物を食べたら、必ずうんこになります。ぼかぁ、それで正しいと思います。

 鍵さんが楽しんで描いた絵は全て良い絵です。持ってきて頂けたら、僕の個展のゲスト枠に飾ることにします。
 が、やはり鍵さんは文章のイメージがありますので、脇目もふらず文章道を邁進して頂きたいなあとも思います。僕のように浮気ばかりしていると、器用貧乏になります。(すみません、不器用貧乏の間違いでした。タハハ……)

 ゆっくり治していけばいいと、僕は思いますよ。
 僕に手伝えることがあれば言ってください。できる限り手伝いたいと思います。何故なら、言うまでもなく僕も病気だからです。難病を治療するきっかけを、たぶんみんなが求めています。

 ぜひ共闘よろしくお願いします!
 じゃなくてウルトラマンになるのを阻止する方向にタッグをシフトしましょうw

 コメントありがとうございました。
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